鉄線。電流が流れてたよう。
監視台
すこぶる広くて、暑い。そして緑がたくさん。強制収容所だって言われなければ一つの集落にもみえる。
それは怖いこと。
これだけ広いということはここに多くの人を収容していたということ。 そして多くの人を殺したということ。
殺され方の記載もあった。ここをじっくり見るとしたら1.5時間くらいかかりそう🐢
その後、アウシュビッツ強制収容所の方へシャトルバスで移動。
囚われた人たちは、毎日このゲートを通って働らかされていた。
このゲートは「働けば自由になれる」と書かかれている。このゲートの文字のBがわざと逆さまになってるのは、このゲート作った収容者のせめてもの反抗心から。
ゲートをくぐるとこのような建物が続く。見学できるのは半分くらいの施設にはなるけれど、ボリューミーです。
どんな人が送られて来たのか、その人たちはくる前どんな生活送っていたのか、、、
送られてきた人たちの靴で埋め尽くされる建物。
とらわれた人たちの写真。女性も伝染病予防に髪を剃られる。
展示も映像やタッチパネルなどきちんと新しい技術を使ってる。継続して展示し続けるということは「忘れないこと」でもある。
最初は反政府ポーランド人の収容施設だったのがユダヤ人、ロマ、スラブ系民族、同性愛者などの強制収容所となる。
被収容者は安泰の地へ行けるものだと本当は存在しない土地などを買ってこの地に向かったものもいた。だから、彼らの住んでた土地を離れるときの写真には笑顔で別れを惜しんでる人も写っていた。
アウシュビッツまでの列車はぎゅうぎゅう詰めで列車の中で死ぬものもいた。そんな中、ここに到着したものは顔色で働けるか働けないか振り分けられ、75%のものが「シャワー」を浴びた。
私は霊感ないけど気が悪いところがあると感じた。
教科書やなんかで読んだ表現はしたくないけど、
目の前のモノの圧倒的な情報量。
文書、記録、展示、説明もたくさんあるのだけれど、それ以外の情報がすごい。
ものすごい数の靴の量
その中の小さな小さな靴
カビ臭い匂い
死の壁の気の重さ
60キロ台の女性が30キロになってしまった姿
お見送りの様子
来る前の生活
故意に人の日常を奪っていい権利はないよね。
私が今感じてることも明日には薄まって、ごはんおいしかったなぁとか思ってると思う。
これは嫌味とか何も学ばなかったとかという意味ではなくて、冷静に現実的にきっとそうなる。
でも、これは私が今、自分の意志で選択したことをしていて、生きてるからできることであって今日は楽しかったとか、明日は何しようとか思えることが生きるってことなのかもしれない。
ただ、現代、移民に対して同じような考え方を持ってる人がいると思う。
日本に暮らしてるとあまり馴染みはないけど、その土地の少数民族に対して受け入れ体制ではないところも多い。偏見を持ってる人も多い。
私自身も偏見ある。けどこの偏見を間違ってないよって捉えてそのまま進んだらまた同じ過ちを犯すと思うんだよね。私は国を変えたり組織を変える力はないけど、自分自身の偏見と闘います。
そして何より、アウシュビッツ来てよかった。ポーランド近くによる機会があれば是非に。
今回、ガイドなしで個人でまわったけど、英語ネイティヴ並みでネイティヴとの会話困りませんていう人以外はぜひ日本語のガイドつけてください✨
土地が広すぎるのでガイドがいれば、容量よく、歴史的背景も踏まえることができるでしょう。
ガイドなしであれば、アウシュビッツの売店に日本語のガイドブックがお安く売ってるのでぜひ。私も購入しました。
アウシュビッツ強制収容所のことだけでなくポーランドについても読みやすくわかりやすいHPがあったので載せます。
ポーランドなび-WITAM!-
0コメント